ヨシノスケ

ヨシノスケのアート活動記録

ガクブチ

「これパパやねん」

 

と言って落書きを見せる娘。

それは絵画的に見ると稚拙で技術も何もない表現だ。

どんなに良いガクブチに入れても活かせない絵。

 

チラシの裏に描かれたその落書きは私にとってただの落書きではなく、

愛のいっぱい詰まった作品であり、

立派な笑顔の額縁に収められた作品。

 

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まるで大作のように感じる。

ただ作品数を乱発するので保管場所に困る。

描くのが恥ずかしい

よく下手だから恥ずかしいと言う人がいる。

 

「下手でいいから描いてみて」と言うと「嫌や」と…

表現とは魂の一瞬の発露であり、人格の一面であり、その人の全てではない。

文字や言葉も同じ「表現手法」の一つ。

 

子供の頃にバカにされて「描くことが嫌」になった方もたくさん居ます。

私もその一人でした。

今、私は「上手だ」という書き方をしてますが、

当時と比較してマシにはなったかなとは思います。

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クラスに一人はいた上手な人がうらやましかった。

絵は好きなのに

「上手く描けない=表現できない」

とはならない、

下手な絵でも笑ってもらえる人が居る。

それで充分なんだなと思う。

すぐあきる

作品の風合いを「作風」というが

 

私は安定した作風がない。

「なんでもやってみる」と言って色々やってみた。

本当は飽き性で突然「もうええわ」と休止した。

 

あらゆる意味で限界だったのかもしれません。

「所詮一人でできるものの限界はある」と気づくのはだいぶあとのことになる。

今は表現を絞って様々な人と交流しながら深めた方が価値的だなと思った。

 

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でもなりふり構わなかった若い頃の自分は、

それはそれでいい経験だと思う。

「描けばええ」ってもんでもない

なんでも手を動かす、 なんでも作れる

 

そうしているとあっという間に時間がなくなっていた。

イデア→作品→アイデア→作品…

とサイクルは理想的だが、休憩も必要なんだと思う。

プロセスは様々なアート

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結果が全部中途半端になってしまう、

なんでも作るということは無理な話だなと思った。

うまい人

自分より絵が上手な人はたくさんいらっしゃいます。

 

学生時代にも同級生でやばいくらいに上手い人がいたな…

今もプロで続けている人も何人かいる。

 

最近、ネットで見てたら世界中にプロアマ問わず、

上手い作家さんがいはるんやなと…

つくづく自分の未熟さに気づかされる。

 

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「自分も上手くなったら伝わるかな」と未だに執着してる自分がいる。

もちろん上手いが全てではないことも知っている。

今「言葉と一緒で伝わりゃええんやで」

そう言い聞かせている自分もいる。

流行り廃り

アートの世界

 

も流行り廃りがあるようで、若い時は少しでもその潮流をキャッチしようと、

あくせく情報集めなどをしていました。

滑稽ですね。

その時間を制作にもっと使えたはず。

 

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もはやそれは「自分の作品ではない」ことに当時は気づきませんでした。

今も流行はあるやろうけど、自分の作品は

「こうで、こうっ!!」

と言える、面白い作品作りをしていきたい。

でもなんだかんだで、流行をなぞっていたりする。

美学

「こだわり」についてよく聞かれる。

 

これはどんな「こだわり」の元に作ったのですか?

こだわりはなんですか?

それに加えて色は?テーマは?得意なものは?

答えは「あんまり…」

ブランクが長すぎて「こだわり」や「自分の色」を忘れてしまいました。

それはそれでええかと思っています。

 

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改めて生まれそうな「こだわり…」

楽しんでいます。